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釈然としないものの正体
昨日のエントリーの続き。

そんな事で、最初はじぶんのおかんがこんな理不尽な制度に晒されてしまう事への“私的な怒り”が出発点だったのが、次第にあまりにも“穴だらけ”“欠陥だらけ”な制度そのものへの怒りに変化していった訳ですが、まぁそこまではよかったと思うのですよ。

けど、いつしか自分で書いててな〜んか“違和感”が残るようになってきたんですね。
で、何故だろうと思って自分の書いたブログを読み返してみたんですよ。

すると・・・



そうか、自分の中で“怒りの性質”が最初とは違う方向に変質しちゃってたんだ、と気づいたのですよ。
元々は“自分の親を苦しめる酷い制度”への怒りだったのが、いつの間にか“政治や政治家に対する怒り”に変わっちゃってたんですね。

いや、政治や政治家に怒りを持つの事は悪い事じゃないと思うけど、それをこの制度の問題点や疑問点に摺り替えて考えてしまったら、却って本質的なものが見えなくなると思うのですよ。
もっと言えば、こんな制度を決めた誰それが悪いとか、何がしのせいだとか言っちゃった時点で、本当に考えなきゃならな事や、本来の自分の怒りの理由を自分で放棄しちゃってるんですよ。

大体ね、私は政治的思想なんて元から持ち合わせちゃいないし、どこの政党にも、どの政治家にも特別感心のない人間です(ちゅうか、つい数年前までは選挙にすら行かなかった様なヤツですからね(^^;)
けど、40越えたいい大人がさすがにそれじゃイカンと思った事と、幾らノーテンキに生きてきた人間でも昨今の社会の“おかしさ”には肌で疑問を感じていたし、自分も含めてその社会や政治の“歪み”や“矛盾”に苦しむ人達を知った事で、自分なりに政治に関心を持つように努め、選挙にも行くようになりました。

けど、結局のところ政治に対して“自分の意志や意見”を見せる事は出来ても、社会や政治の大きな流れ自体は、決して自分の思惑通り流れる事なんてない・・・それは人生と同じですよ。
だったら、自分は自分のできる範囲の事をやる、誠実に生きて行く事くらいかできないじゃないですか。

だから、その“自分ができる事”のひとつとして、こんな無慈悲な制度の事を1人でも沢山の人に知ってほしいという真摯な思いが、ブログに書き綴るようになった原点。
ところが、それがいつの間にか政治批判や政治家批判、厚労省批判な事を、ろくに政治に関心もないヤツがエラソーに“したり顔”で語っていた・・・つまり、最初の自分の“思い”からは別の方向に行ってしまってる事に自分が気づいていなかった訳で、それこそが“釈然としないもの”の正体。

そう、どうやら他ならぬ自分自身に釈然としていなかった様です・・・(^^;

で、今更ながら少し軌道修正しようかと考えてます。
先ず、マスコミが取り上げる様になり、社会に広く認知されるようになった事で、取り敢えず当初の目的だった“この制度の事を誰かに知ってもらう”は一応達成されたと思ってます。
今のところ報道が“年金からの天引き”“保険料の額”に偏っていて、本当に重要な部分(保険診療の定額制とか、保険証の取り上げとか、終末医療に際して病院を追い出される可能性とか諸々)に話が及んでいないのは気になりますが、いずれもう少し話が進めばマスコミも取り上げる様になる事を期待しましょう(もし、このままマスコミお特異の“フェードアウト”になるようなら、その時はまた私らがフォローしていけば良い事です)

今後も折を見てこの件については書いていくつもりですが、初心に返って“思い”を伝えていくように出来ればいいかなと、そう考えています。

それ以上に、もっと見つめ直す事もあると思うのですが、それはまた明日以降に語ってみたいと思います。
by yaskazu | 2008-04-18 00:19 | 独り言 | Trackback | Comments(0)
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