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役目
阪神大震災から19年。

毎年この日は、同じようなことを書いていますが、例え同じことでも、記し続けて行くこと、伝え続けて行くことが、きっと自分らの、ある種の役割なのかなぁと、思っています。



19年も経ってしまうと、既に震災のあったこと自体、知らなかったり、記憶が薄い、子供達や若い世代が増えくるようで、そういう子達のインタビューとかを見てても、「よく分からない」「憶えてない」「実感が沸かない」っていうのが殆どなんですね。

それ自体は仕方のないことだと思うのですよ。

実際、いわゆる団塊の世代から以降、自分らの世代を中心に、そこから下の世代の人間は、自分達の両親や祖父母の時代に起きた、第二次大戦の戦前、戦中、戦後のことを、記録映像や書籍等、様々な媒体で触れることはあっても、本当に同じ時間軸の上で起きたことなのか、ある程度想像することはできても、実感として感じることは、正直できないですからね。

だから、自分達が大戦当時の映像や写真、文献を見てもそうであるように、震災を知らない世代の子達には、震災当時の記録映像やドキュメント、ニュース記事等は、まるで実感の沸かない、絵空事に思えるのも、無理のない話だと思います。

東日本大震災の、あの記憶に新しい生々しい映像も、阪神大震災を知る者とそうでない者では、多分感じ方がかなり違っただろうし、かく言う私も、直接の被災者ではなく、身近な隣県で起きた災害ということで、本当の意味でそれを実体験として語ることは、できないのかもしれません。

それでも、ただ少し住んでた場所が離れてただけで、あともう少し地震の範囲が広かったら、もしかしたら今頃自分は、こんな風にブログなんて書いてなかったかもしれないという、その恐怖は本当に実感しましたからね。

大阪は、神戸ほどの深刻な被災を受けなかったけど、それでも社会機能は麻痺し、経済もダメージを受ける位には影響が出ましたからね。

ウチもあの地震以降、元々立て付けの悪い家が、増々あちこちで軋んだり、窓の開け閉めが“硬く”なる等して、もし次に大きい地震が来たら、本当にヤバイかもしれない程度のダメージがありましたからね。

これも、この話題の都度書いてる気がしますが、私自身も、あの地震の少し前に、神戸の三宮に遊びに行ったばかりだったので、本当についこの前、自分の目で見たばかりの建物、肌で空気を感じたばかりの場所が、見渡す限り倒壊し、瓦礫と化し、炎と煙をあげてる光景を見て、精神的ショックのせいか、高熱を出して数日寝込んでしまいましたからね(^^;

そんな自分の体験など、実際に被災された方達とは、比べようにもならないものですが、それでも・・・だからこそ、機会あるごとに記して行くべきなんじゃないかとも思ってます。

先の話に戻りますが、戦争を知らない世代の自分が、一番当時を“肌で”感じるのは、記録映像でも文献でも映画でもなく、その時代を経験した世代の人達の、体験談や回顧録といった、“生の声”だったりするものです。

おかんが小学生の頃、空襲してきたアリリカの戦闘機が、校庭に撃ち込み、その後に丸い穴が幾つも土に空いてた話とか、前日にあった大阪の大空襲に遭い、クラスメイトがその日の朝からは二度と来なくなった話とか・・・

食事中の他愛のない日常会話の中で、時に談笑まじりに出てくるそういう話が、一番現実味を帯びて伝わってきます。

震災を、例え曲がりなりにでも体験した人間は、本当につまらない、小さな話だったとしても、後世に伝え続けていくことが、大切なんじゃないかと思ってます。

来年は阪神大震災から20年、そして間もなく、東日本大震災から3年を迎えようとしています。

例え相手にウザがられたとしても、自分の知る話は、していきたいと思います。
by yaskazu | 2014-01-17 21:00 | 独り言 | Trackback | Comments(0)
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