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時は流れる
18年。

一口に言ってしまえばそれまでだし、自分らくらいの年齢になると、去年の事が昨日のように思えてしまう感覚になってしまうため、18年といっても、ついこの前みたいに感じてしまうもので、実際18年前の“あの日”のことは、今でも鮮明に思い出します。

勿論それは、起きた出来事が出来事だけにってのはありますが、それを差し引いたとしても、18年って年月は、実際には相当な時間が流れてる訳なんですよね。

あの年に生まれた子供が、高校3年生になり、自動車免許が取得できたり、場合によっては結婚もできる年齢に達する。
1人の人間が、赤ん坊から成人の一歩手前までに成長する年月な訳ですからね。



被災地である神戸では、震災を直接経験してない、知らない(おぼえていないも含むのかな?)割合が、既に40%を越えたというデータがあるそうです。

その信義や、算出法、出てきた経緯は分からないし、自分らレベルの人間では、確認のしようもないのだけれど、これを素直に信用するとするとするなら、例えばあの震災の時に亡くなった方の相当数が高齢者だったことを考えれば、その時点で既にある程度の年齢だった方で、あの時に生き延びていたとしても、その後に他の要因(仮設での孤独死や、病死、天命等も含め)で、既に他界された方も多くおられるだろうし、震災後に生まれた子供の数が、それだけの数に達した可能性もあるでしょう。

被災者の中には、様々な理由でやむを得ずに神戸を去らざるを得なかったり、いつか帰ろうと思いつつも、今まで果たせなかった方々等も、数多くおられることも想像に難しくないし、その人達の送ってこられた時間も、並大抵ではなかったことでしょう。

そう考えれば、18年の経過っていうのが、如何に長い時間なのかということに、改めて驚きを禁じえなくなってしまいます。

ならばこそ・・・・

1995年、1月17日の阪神大震災当時の記憶を、つい先日のことのように思い出せる人間は、震災を知らない世代、知っていても忘れかけている世代に、伝え続けていかなきゃなって思います。

それが、自分らおっさん世代にできる、せめてものことなんだろうしね。
by yaskazu | 2013-01-17 22:22 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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