ぼくらのために
唐突ですが、自分は今の円谷プロは、ある意味において、全盛期よりも素敵でカッコイイと思うのです。



ある程度事情に詳しい方ならご存知でしょうが、現在の円谷プロはパチンコ会社の子会社となっており、その前はCG会社だったり、バンダイとも関連してたりと、ともかく経営体系が安定してないというか、綱渡りというか・・・(^^;

今の状況を招いたのは、ひとえに創設以来の、一族経営独特の体質や、生来的な経営面の弱さ、甘さが原因でした。

以前にも書いたことがありますが、円谷には“もの作り”のプロは沢山いたけど、経営のプロに恵まれなかった。
どれだけ優れた、質のいい作品を作っても、マネジメント力やプロモーション力、プレゼンテーション力が弱ければ、特定の顧客はついたとしても、それが利益を生む“商売”には繋がり難い。

これは、どんな分野においても同様で、例えば、職人気質の料理屋の店長が、味に拘るあまりに利益を度外視した商売をしたがために、肝心の店そのものを潰してしまった・・・なんて話と全く同じで、ファンにとっては耳の痛い、口惜しい話ではあれど、認めるべき、厳しい現実です。

勿論、時代の流れや不景気なんかも多分に影響はしてるけど、それを見越した運営ができてこそ、屋台骨も屋号を保つ事もできるはず。
円谷プロは、残念ながらそれが出来なかったから、結果的に砧の古巣や、“あの”怪獣倉庫”も、閉めざるを得なかったのだろうし、それが現在の立ち位置に甘んじなければならない事にもなった訳ですからね。

でも、それだからこそ自分は、今の円谷プロは素敵だと思うし、カッコイイ、愛しいとすら思うのですよ。

人によっては、パチンコ屋如きの力を借りなければ運営できないなんて、不様だ見苦しいなんて思う人もいるかも知れません。
自力での会社運営が困難になった時点で、いっそ暖簾を下ろしてしまった方が、円谷プロの栄光や名誉に傷を付けず、伝説として名を残したかもしれないなんて言う人もいるでしょう。

でも、それってあまりにも無責任で身勝手な物言いだし、第一それでは、本当にそこで終わってしまう。
それ以上先に進む事なく、朽ちて行くのを待つだけの、俗にいう“オワコン”になって、いずれ歴史からも記憶からも忘れ去られて行く・・・

今の円谷プロは、例え他人の手を借りてでも生き残り、どんなカタチであれ、作品を作りつづけることで、今現在を生き抜き、明日へ繋げようとしている。
大義名分もお題目もなく、なり振り構わず、地べた這って、泥を啜ってでも、円谷プロの火を灯し続けようとしている。

少し生臭い言い方をすれば、そうして会社や仕事を死守しなければ、そこで働くものの生活や人生も保証できない訳ですからね。
実際、今の経営形態になる過程で、去った人、去らざるを得なかった人も、多分1人や2人ではなかったことでしょう。

特にああいう世界は、往々にして“ツブシ”の利かない世界だから、そこで働く人間は、そういう世界でなければ生きていけない人も多く、だからこそ必死になって縋り付くしかないんですよね。

そういうのを“カッコ悪い”って思う人もいるだろうけど、とにかく生き延びて作品を作り続け、今この時の自分らの仕事や生活を守ることが、結果的にこれまでの円谷プロの残してきた遺産を守り、明日に生かし続けることにもなる筈だし、それはファンであるぼくらのためにも繋がる事ですからね。

確かに、全盛期に比べ、或いは他社(ぶっちゃけ東映)と比較しても、作品の本数も、内容的にも、小振りになってる感は否めないとは思うし、今の体制もいつかは破綻して、本当にどうにもならなくなる日が来るかもしれないけれど、それでも“足掻き続けなければ、未来へは繋がりませんからね。

話は少し逸れますが、先日大盛況の内に終了した“特撮博物館”は、非常に有意義なイベントだったと思います。
関西在住の自分は、結局行けなかったけど、全国巡回も検討されてるそうなので、実現の際は、可能であれば、是非とも足を運びたいものです。

で、その特撮博物館ですが、あれを単に過去の遺産への“懐古主義”的に捉えてる人が、一般の方ならともかく、当の特撮ファンにも結構存在したらしいことは、少なからず残念に思いました。

あのイベントは、特撮と言う分野が辿ってきた道を、ああいうカタチで振り返ることで、それをどういう方法で現在に生かし、未来へと繋いで行くかを考えるというのが、真の意図であり、趣旨であろうと私は思っていたし、事実館長の庵野秀明氏も、そういう旨の発言をされていたようです。

今現在を生き、明日へ、未来へ繋いで行かなければ、過去の遺産も守れないし、残せない。
過去があるから未来があり、未来を目指すからこそ、過去が生きる・・・

そういう意味では、明日に繋ぐための道を選択した円谷プロも、志しの部分は同様だと言えるでしょう。

特撮に限ったことではなく、こういうサブカルチャーとか、大衆芸能の類に属する分野は、そういう努力をやめてしまったら、本当に滅んでしまう、脆くて儚いものですからね・・・

なんで突如、前振りもなくこういうこと書いたかというと・・・

ちょっと事情があって、具体的には書くことは避けますが、最近ちょっと世間を賑わした、然る古典芸能に関する“一悶着”は、結構通じる部分があると思ったからなんですね。

あの件が揉めた元々の原因は、市の予算削減で、それを免除してほしいという協会側の要求に対し、他の文化行政は勿論、公務員改革や公共事業始め、様々な民間サービスや、それこそ福祉の分野にまで手をつけなきゃならないほど、市の台所事情は切迫してるから、その中の対象のひとつである、件の古典芸能だけを、特別扱いする訳にはいかないと、市側がはね除けたからでした。

客観的に見れば、自分は行政側の言い分の方が、至極筋の通った話だと思うんだけど、それに対して、伝統や芸術は守るべきだとか、市長の文化芸能に対する認識が足りないとかいう類の、情感論やら人情論に訴えるような、偏った報道をマスコミが面白半分にぶち上げ、困ったことに(無責任なネット住民も含む)多くの人が、問題のバックボーンも調べたり考えたりもせず、そっちに賛同し、行政=加害者で、協会=被害者的な構図を作り出しちゃったんですよね。

でも、そっちに視点や論点おいちゃったら、こういう問題は永遠に平行線辿って、解決しないんですよね(^^;

これは、言わば企業のリストラと同じで、切る側はもう“それありき”で来る訳だから、小手先の小細工は、実は何の意味もない。
対象にされた時点で、“やられた”のと同じなんです。

だから、幾ら市長が実際の出し物を観覧したとしても、仮にそれが満足の行く、納得の行く内容だったとしても、それが削減の軽減や免除には、どの道直接通じなかったのは明白だし、仮にもしそれで話が解決したりしたら、むしろそれこそ“表沙汰にできない何か”が、舞台裏で行われたということになっちゃいます。

大人の世界って、汚いもんですからね・・・(^^;

そういった悪い慣習を避けるためにも、そして最後の救済処置として行政が提示したのが、公開の場での“話し合い”だった訳で、協会側にとっては、正に残された最後の命綱だった筈。

けどそれを今度は協会側が拒否しちゃった訳で、その理由が“古典芸能は守られて当然”とか、“分からない人には分からない”とか、プライドだとか・・・

お前ら子供かよ、生き残ろうとする意志がないのか、だったらその伝統やプライドと共に心中しちゃえよと、むしろこの業界側の態度の方にこそ、自分は憤りを感じたものです。

伝統文化や大衆芸能は、後に残していくべきだというのは私もそう思うし、そういう意味では、自分らの愛する特撮やアニメといった、サブカルも全く同じなんですよね。

そして、それを本気で守って、明日に、未来に繋げて行くためには、誰かの助けを待つんじゃなくて、自らの意思で生き延びる道を選び、今現在を進んで行くしかないんですよ。

先に述べたように、然る事情からこの件については、自ら語ることを封印していました。

実際、少なくともツイッター上では2度と触れないと明言しましたが、ツイッターが公共の場なら、ブログの方は自宅みたいなものだと思うので、自宅の自分の部屋での独り言で、具体的になんの伝統芸能のことかを記さないなら、吐いておいた方が(自分のために)いいかもな・・・と、思ったので(正直、この数ヶ月かなりフラストレーション溜まってたし(^^;)

この問題も、先日漸く協会側が公開での話し合いに応じたということで、やっと解決に向けての一歩を踏み出せたと思うし、是非これが、少しでもいい方向に話が進むことを、望んで止みません。

だからさ、最初から意地張らないでそうしてりゃよかったって、そんだけの話なんだけどね(^^;

そんな訳で、改めて・・・

自分達の作ってきた財産を守り、明日に繋げるために、今日を生き続けようと頑張ってる円谷プロは、自分はサイコーにカッコイイと、そう思います。
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by yaskazu | 2012-10-17 00:41 | 独り言 | Trackback | Comments(0)
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