当ブログではもはや慣例化しつつある「大魔神カノン」ですが、「W」や「ゴセイ」とかを扱ってるブログは多数あるけど、「大魔神カノン」をマトモに扱ってるって意外と少ないんですよね。
だからって訳ではありませんが、気になる番組はやっぱり追いかけてみたいので、書ける時は書いておこうと思うので・・・ さてこの第7話、これまでの6話から比べれば劇的に話が進んだ・・・様に思うのですが、実はそうでもなかったり(^^; 単にこっちがこの作品の“テンポ”や、空気感とか世界観に馴染んでしまったため、少し動きがあっただけで物凄く展開したように感じちゃうだけなんじゃないかという・・(笑) ただこれに関しても、恐らくは高寺Pの当初からの狙いだったと思われます。 私の推論ですが、この作品が全26話の予定である事を考えると、その約1/4の6話分を使って、起承転結の“起”の部分、つまり物語の発端や主要キャラクターの紹介(あくまで紹介)をやり、これからの数話分で“承”の部分、つまりこれがどういう物語で、どんな風に話が進んでいくのか、キャラクターはその中でどういう役割を果たし、どう動いて行くのか、且つそのキャラクターの掘り下げ等を描き、残り話数で“転”と“結”をやる・・・ つまり、本来シリーズものの定石である筈の、1話1話の起承転結の積み重ねでシリーズ全体の起承転結を作るのではなく、全話をかけて「大魔神カノン」という作品の起承転結を描いていこうとしてるのではないか・・・ 仮にそうだとすれば・・・うん、やっぱり見守っていくしかありませんわな(^^; では、7話について 今回のポイントは幾つかあるんですが、まずカノンがタイヘイに連れられて“だいちゃん”に来た事で、タイヘイ以外オンバケのみなさん(但し、この時点でカノンはまだこの人達が人間じゃない事は知らない訳ですが)の“温かさ”に触れ、酒の勢いとかでなく、自らの意思で胸の内を吐き出した事。 これは、他人を信じる生き方云々と言いながら、どうも他者に対して自ら壁を作っていた印象があったこれまでのカノンを考えれば、それだけ人に心を許す“兆し”を見せたという事であり、僅かながら前進したと言えるでしょう(ホントに“僅かながら”なんだけどね(^^;) ただ、皆からのリクエストに応えて歌った“いのりうた”に、イマイチ“気持ち”が入ってなかった事には、歌を盗られた事とは別の理由があるようで、そこを越える事もカノンにとっての“一歩”になるんでしょうね。 タイヘイ達とのふれあいで、少し心を開く事ができたからなのか、コンタクトを落とした女性に声かけるのは、前回道に荷物ぶちまけた子連れ女性を無視してしまったシーンとの対比になっているのは明らかですが、前回の反省も踏まえたであろうカノンの好意に対し、逆ギレとも思えるようなあんな激しい“拒否”を受けたのは、カノンの気持ちとは裏腹に、都会やそこに暮らす人間は、そう易々と他者の優しさや善意を受け入れるほど甘くない事を示していると同時に、前回までのカノンもまた、ともすれば“ああなっていた”事を暗示しているのではないでしょうか? 作品内では描かれませんでしたが、そこに気付けるかどうか、それをしてもなお人を信じる生き方を選べるか、他人を受け入れる事ができるか・・・を、問われる意味合が込められていたのがあのシーンであり、実はその問いかけを受けてるのはカノンだけではなく、視聴者に対してのものでもあったと、自分は感じました。 もうひとつのポイントとしては、カノンの不幸の元凶でもある元カレの幸太郎と、彼に憑依してる悪霊イパダダの正体である“冴木賢人”のドラマに踏み入った事は大きい。 幸太郎が夢で見た光景は、幸太郎自身の事なのか、或いは冴木賢人の幼少の頃の事なのかは判然としないのですが、幸太郎がヤケにリアルな云々と言いながらも他人事のように言ってる辺り、あれは冴木賢人の生前の出来事なのかな? 何れにせよ、イパダダが人間の悪霊が変化したものだと言うなら、冴木賢人が何故悪霊化し、イパダダになるほどに心に闇を抱えたのかという理由らしきものが垣間見えた事や、オンバケさん達の言うところの“乗り代”として幸太郎を選んだのは、恐らく幸太郎の中にある賢人自身と同質の“闇”に魅入られてしまったからではないか?・・・という、今後のドラマの展開の推論を量る要素となりそうです。 そして仮にそうであるならば、悪霊に魅入られるような幸太郎の心の闇はどこにあるのか、彼の人格形成は如何に成されたのかという部分を描いてくれるかどうかには、期待したいところ。 劇中では明白に語られていないものの、設定上ではカノンと“同棲していた”・・・つまり主人公と“関係を持った”相手がイパダダに憑依されてる、言わば直接の“敵”であり、しかも互いにまだそれを認識していないというところにも、なにかしらの意味感じます。 高寺作品の場合、比較的善悪二元論的な描かれ方が多く、グロンギにしても魔化魍にしても、所詮は人とは違う“分かり合えない存在”として描かれ、結果着地点がイマイチ曖昧になってしまう傾向には、実は不満を持っていました。 しかし、イパダダの元は“人間”な訳で、言わば人間の“悪意”から発生した悪霊であり、それに対抗するオンバケは、逆に人間の“善意”から発生した“妖怪”・・・つまり人外の者と言う辺り、これまでの高寺作品では決着を見なかった、人間の善意と悪意の根源的なものに、更にもう一歩踏み込んでくれるのかなと・・・作品のテーマ的なものも踏まえ、ちょっと期待したいものです。 そして今回、ある意味最も大きなポイントと言えるのは、0°Cのボーカル“サキ”の描かれ方。 以前の感想で、サキさんの事を“思いのほかいい人”って風に書いた記憶があるんですが、それどころか彼女はある意味“もうひとりのカノン”とも呼べる存在だったようです。 タイヘイの“先走り”(笑)の結果、“TO THE TOP”が幸太郎による“いのりうた”の盗作だった事を、図らずも知る事になってしまうサキですが、なんだか訳の分からない“ヘンな男”にイキナリ追い回された上、頭ごなしにそんな事言われたって俄に信じられるはずがありません(笑) しかし、カノンに直接確かめる事で、それが事実だと知った時のショックは、ある種カノン以上だったのではないでしょうか? サキにとっても、普段鼻歌で歌ってしまう程に、“TO THE TOP”は大切な歌であり、その思い入れはカノンの“いのりうた”に対するそれと、決してひけをとらないほど深いものだった事が伺えます。 歌に対する思いや愛情は、サキには痛いほどよく分かるだろうし、それを勝手に盗まれた上に改作され、更にそれがヒット曲として世に出てしまったとなれば、カノンの心がどれだけ傷ついたのか・・・ そして、それを知ってしまった自分は、これからどうすればいいのか・・・ かと言って、サキにとっても、0°Cにとっても“TO THE TOP”が大切な歌だという事も、また紛れもない事実な訳で、今後はこの件でサキさんは葛藤していく事になるんでしょう。 また、カノンの方もサキにとっての“TO THE TOP”が大切で思い入れのある曲である事は察しただろうし、彼女を憎む事が筋違いである事も、きっと理解していくのではないでしょうか? カタチは違えど、根源を同じとする歌に翻弄されるという意味で、実はサキさんはもうひとりのカノンと呼べる存在。 今後この2人と、2つの歌がどうドラマに関わっていくのか・・・そこも注目ポイントのようです。 で・・・今回もアクションは“申し訳程度”でしたね(^^;
by yaskazu
| 2010-05-25 00:22
| 特撮
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