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侍戦隊シンケンジャー 最終幕「侍戦隊永遠」
いよいよ最終回を迎えた「シンケンジャー」

キャラクター達のドラマは前回までで概ね描いていた分、最終回は基本アクション中心の決戦編でしたが、そんな中にもしっかりドラマは描かれてるし、この期に及んでもなおあれは伏線だったのかと思われるものをしっかり消化していたり、全登場キャラの着地点をちゃんと用意していたりと、小林脚本の緻密ぶりに改めて感心させられました。

それでは、本題。



>外道衆より命を大切にしないヤツら
シタリさんのこの一言が、全てを表現している。

シンケンジャー達は人々を守るためなら、自分たちの命も惜しまない。
でもそれは、命を粗末にするとか、自ら死に臨んでいくという意味では決してない。
どれだけ窮地に追い込まれても、どれだけ絶望の淵に立たされても、傷ついても・・・命ギリギリまで絶対諦めない、倒れないって事なんですよね。

しかしそれは、人間の嘆きやあえぎ、苦しみや絶望といった“負”の感情を糧にするドウコクにとっては不愉快極まりなく、ますますその怒りを、力を、強大化させる事になる・・・

全く両者は相容れない間柄な訳ですが、敵味方双方のドラマを丹念に描き込み、どちら側にも思い入れを感じてしまうまでに魅力的なキャラクターを確率させた上で、そうであるが故に双方決して理解しあえない完全な敵対関係として描ききったのは、昨今の善悪の描写が曖昧なものが多いヒーロー物の中で、むしろ潔くて爽快でした。
この辺りも「シンケンジャー」の魅力のひとつかも知れません。

そして、シタリさんの言葉はそのまま自分自身の顛末にも繋がってたり・・・

>思いは同じ
破壊力が大きい故、一度しか使えない薫姫の渾身のディスクも、ドウコクに対しては封印の傷跡の上に更に傷を負わせはしたものの、トドメには至らないばかりか然したるダメージすら与えられず、逆に一敗地に塗れてしまうシンケンジャー。

それでも皆が立ち上がる事を信じる薫姫は、志葉家のモジカラを込めたディスクを、丹波さんの制止も聞かずにもう一枚作ろうとします。
志葉家だけが生き残っても何もならない、この世を守るために皆の力を合わせなければと、傷ついた身体を奮い立たせる姫の言葉と姿は、丹波さんの中にも“何か”を灯した模様。

>家老の務め
ある意味今回一番の“見どころ”とも言える、倒れてる皆の元に駆けつける彦馬爺の大立ち回り!
いやあ、ナナシ連中相手に実に“堂に入った”大迫力の立ち回りは、伊吹吾郎さんさすがと言うより他はありません!
欲を言えば、相手を逆海老にして背骨をへし折る荒技とか、見せてほしかったな(笑)

戦う御家老日下部彦馬の姿に、今一度我が身を奮い立たすシンケンジャー達。
必ず生きて凱旋する事、それを美味い料理を作って待つ事を誓い合う姿、戦えなくなったダイゴヨウを託す源ちゃんとか、積み重ねられてきた皆の強い絆がにじみ出ていて、凄くいいシーンになってますね。

そしてそして、もしかしたら今回一番オイシイところ持っていったかも知れないのが、他ならぬ丹波さん!
ドウコクの下に向かおうとする皆の前に、姫の作ったディスクと共に、自らのモジカラを持って作ったディスクまでも献上する姿は、ちょっと感動的ですらあります。

この人も元々は確たる志を持った、立派な志葉家の家老だったのでしょう。
ただ、姫や志葉家そのものを大切に思うあまり、外道衆から人々を守ると言う、志葉家とその当主の本来の目的と存在理由を見失っていた。
それを、薫姫や丈瑠達の姿を見て、本来の自分を取り戻す事が出来たんでしょうね。

丹波さんみたいな(言い方は悪いけど)本来は“捨て役”みたいなキャラクターにまで、しっかり見せ場や着地点を用意してる辺り、靖子にゃんや宇都宮Pを始めとする「シンケンジャー」のスタッフの、作品とキャラクターに対する深い愛情を感じてしまいます(^^)

>天下御免の侍戦隊シンケンジャー、参る!
ドウコクの前に立ちはだかるシンケンジャー達。
“名乗り”シーンと、幾つかの立ち回りやアクションは、最終回恒例変身前の役者本人が演じていますが、変身せずに生身のままで行うのが最近の傾向の様ですね。

確かにこの方が、本当に本人が頑張って演じてるんだって事が分かるから良いのですが、役者自身がスーツを着て自ら変身後を演じるのも、スーツアクターさんとの体型や動きの微妙な違いを楽しむっていう“ヲタならでは”の楽しみ方が出来て、好きなんですけどねぇ(^^;

とは言え、クライマックスのバトルを若い役者達が自ら盛り上げる姿は、毎年見ていても感慨深いものがあります。

>拍手の嵐、真打登場
ドウコク一の目撃破までの流れは、ビジュアル的にも非常によく錬られてて、完成度の高いアクションシークエンスになっています。

まず、なんと言っても“烈火大斬刀二刀流!”
丹波さんの作ったディスクは、武器を2つに増殖させる力を持っていたようですが、ただでさえあの巨大な烈火大斬刀を、両手に二本持ってぶん廻す超絶な絵づらを、CGなんかじゃなくて本当にやらせちゃう辺りは、古くから肉体酷使な東映ヒーローものの面目躍如です!(←どんな誉め方や!(^^;)
てか、あんな無茶なアクションを見事にやってのけたシンケンレッド役の福沢博文さんに拍手!

流ノ介以下5人がモジカラを合わせて「縛」のモジカラでドウコクを縛束プレイ・・・じゃなくて動きを封じた隙に(・・・(^^;)丈瑠が胸の傷跡に二本の烈火大斬刀で更に攻撃を加える。
それすらもはねのけるドウコクを、今度は身体を張って千秋達が押さえつけたところに、なんと流ノ介が薫姫の作った志葉家の火のモジカラを込めたディスクを使って、強大な火炎攻撃をぶち込み、漸くドウコクの一の目を倒す事に成功する訳ですが、水属性の流ノ介が火のモジカラを放ち、丈瑠に代わってトドメを刺した辺りは、確かに予想外でした。

この一連の流れ、不肖私yaskazuめが少し深読みして解析。

前回、薫姫の作ったディスクを持って、丈瑠が“これなら俺でも使える”って言ってましたが、単に姫の火の属性の力を秘めたディスクなら、丈瑠自身も火の属性のモジカラの使い手な訳だから、“俺でも使える”って表現には、何か違和感がある。

これを“火のモジカラ”ではなく“志葉家相伝のモジカラ”と解釈すれば、志葉家の人間でない丈瑠にも使えるばかりでなく、火の属性ではない流ノ介や、実は千秋や茉子やことは、源太にも使用可能だったと推測すれば、“俺でも”という表現も納得できる。

それを踏まえた上で、元々火の属性である丈瑠が仕掛けた攻撃が実はフェイントで、水の属性の流ノ介が、まさか火の属性の志葉家のモジカラを放ってくるとは、さすがのドウコクも思っていないだろう、その隙を狙った、実に戦略的な攻撃だったと考えてみると、なかなか面白い。

そして、丈瑠がフェイントというのは影武者に、流ノ介がトドメというのは歌舞伎の真打に、各々掛けてあったんじゃないかと私は思ってるんですが・・・・

いや、大ハズレだったらご免なさい(^^;

>無駄にでけぇナリしやがって
ドウコクのサムライハオーに対するこの突っ込みに、思わず同意(笑)

>本当の力ずく
二の目となったドウコクとの、文字通り最終決戦。

サムライハオーの攻撃すら効かないドウコクに対し、全てのモジカラを一点に集約し、最後の一撃必殺に懸けるシンケンジャー達。
ドウコクの激しい攻撃に、次々と折神たちが吹き飛び、倒され、これまでのパワーアップの行程を遡るかの様に、トラシンケンオーからノーマルのシンケンオーへ姿を変えながら、それでも退かずにまっすぐ突き進んでくる姿壮絶な姿に、さすがのドウコクも少し怯んでいる模様。

この時、シンケンオーの中で交わされる、丈瑠の皆への感謝の言葉と、それに対する5人の応えが、このシーンをより一層熱く、感動的に盛り上げていきます。

遂にドウコクを間近に捕え、自らも攻撃を受けながら、文字通り肉を斬らせて骨を断つかの如く、6人の全てのモジカラを込めた渾身の一撃を叩き込むシンケンオー。

自分が滅んでも外道衆は滅びない、三途の川がある限り、いつかお前たちも嘆き悲む時がくるその時が楽しみだと、王道ながらも最期まで“悪の親分”というスタンスを貫いたまま壮絶に散った血祭ドウコク、見事です!

>生きる事がアタシの外道さね
なんて言いながら六門船と共に三途の川に沈んでしまったシタリさん。
けど、多分この人は本当にその言葉通り、三途の川の底で生き続けてると思いますよ(見た目“魚介類”だしね(笑))
こんな事言い放つまでに、生に執着する姿はむしろ気持ちいいくらいで、本当に生きててほしいし、応援すらしたくなっちゃいます(お約束とは言え“性に執着”って変換するな、媒体やOS変わっても相変わらずなわしのパソ!(^^;)

でも、生きる事そのものが外道ってのは、なかなか“深い”ものがありますね。
人間って、生きている事それ自体が既に“業”って部分、確かにあります。

私だって、今までの人生で死んだ方が楽かもって、本気で思った事も何度かありますが、それでも今こうやって生きているのは、生きる事への執着や執念の方が遥かに強かったからだと思うのですよ。
そして、生きていて本当に良かったと今は思えてる。

例えどん底に落ちぶれたり、明日のない状況に陥ってもなお、泥をすすってでもなり振り構わず生き抜こうとするのは、傍から見れば不様で惨めで見苦しいかも知れないけど、それでもそれが人間の“強さ”だし“美しさ”でもあると思う。
もしそれが外道だというなら、その外道を貫く事は、むしろ素敵ですらあります。

尺的には短いシーンでしたが、そんな深いメッセージのこもったシタリさんこの言葉と姿に、甚く、強く、共感しました。

>お別れの舞
正に全編クライマックスだった本編からすれば、皆が各々の道に戻ってゆくエピローグは、とても静かで少し寂しさすらありましたが、多分これは敢えてそうすることで余韻を残す意図だったのでしょう。

志葉家を丈瑠に託して戻ってゆく薫姫と、最後は“いい人”で落ち着いた丹波さん。
姫に奨めようとした“顔の長い”見合い相手ってのが少し気になります(笑)

あと、黒子ちゃん同士が肩抱き合って別れを惜しんでるのもツボ(w

茉子はハワイへ、ことはは京都へと、それぞれ家族のもとに帰り、千秋は大学受験のやり直しで、源ちゃんはフランスへ三ツ星修行・・・って、寿司屋なのに何故!?(帽子がイタリアになってるのには(笑))

ひとりひとり、言葉少なげに別れを交わしながら志葉家を出て行くシーンは、こちらもしんみり・・・

そして、言葉ではなく“お別れの舞”で気持ちを表すのは、実に流ノ介らしいですね。

しかし・・・・“お別れの舞”って、まるで“静御前”でんがな!(^^;

そうか、流ノ介の丈瑠への気持ちは、義経に対する静御前の如しって事ですか(ヲ・・・

爺は丈瑠に侍以外の生活をって、カルチャースクールのパンフ大量に持ってきて、自分はエレキギター・・・って、まさかこんなところでエンディングのネタに繋がるとは!(笑)

しかし、爺が“侍以外の・・・”って言った時、ソ◯プとかピ◯サ◯とかヘ◯スとかキ◯バ◯ラとかいった単語が頭の中でループした煩悩おやぢは死んでしまへ・・・(えぇ、私ですとも(^^;)

>これにて一件落着
そんな訳で、ラスト5本限定というカタチでしたが、久々に特撮物の感想をちゃんと書いてみましたが、やはり寄る年波と書く時間を作る面とで、正直しんどかった(^^;

しかし、この「侍戦隊シンケンジャー」という作品は、少しムリをしてでも感想を書きたいという気持ちにさせた作品だったのも確かで、長年特ヲタをやっていても、そういう気持ちにさせるものに出会える機会は、意外と少ないんですよね。

出来れば、第一幕の段階から感想書けてれば良かったのですが、まぁそこは御勘弁と言う事で(^^;

と言う事で、1年間素晴らしい作品を届けていただいたスタッフ&キャストの皆様、お疲れ様でした!、そしてありがとう!

これにて一件落着!!

・・・・・え、Vシネ!?

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by yaskazu | 2010-02-12 20:48 | 特撮 | Trackback | Comments(2)
Commented by at 2010-02-15 15:32 x
ぶーっっ!!(鼻血)>静御前
腐女子のツボに年季の入ったストライクど真ん中ネタをありがとうございました!
「縛」プ○イまでは私もニヤリしていたのですが、そこまで思い至りませんでしたよー。流石はyasさまです。
大福マックくんの変換技にも脱帽。(笑
シンケンジャー、本当に内容が濃かったですね。スタッフの皆さんには美味しいものをご馳走になりました。
Commented by yaskazu at 2010-02-15 22:12
>つ様
お別れの舞い自体は、流ノ介のキャラクターから自然に出てきたものだと私も思うのですが、別れを惜しんで言葉の代わりに舞いを・・・ってところで、頭の中で静御前に繋がっちゃったんですよね(^^;

もっとも、義経は最後には弁慶を選ぶ訳ですが・・・(違!

変換はねぇ、元々Macのデフォルトの日本語入力システム「ことえり」は“おバカ変換”で有名でして・・・(苦笑)
Winから乗り換えた人や、Macで文章書く仕事してる人なんかは、ことえり捨ててATOK入れてる人も多いようですが、長年Macを使ってるとこの“おバカ”ぶりが逆に愛おしくなってしまって、時におバカ変換を期待する時すらあります(笑)

シンケンジャーは、正直最初はあまり期待してなかったんですが、良い意味で“裏切り続けて”くれました。
本当に、スタッフの皆さんに感謝です!(^^)
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