他人事が我が事になった時
制度開始以来、毎日の様に「後期高齢者医療制度」の話題が新聞やTVでも取り上げられ、番組によっては年金天引きだけではない、この制度に隠された“本当の問題点”にも言及するものも出てきた様で、世間でも注目や怒りの声が大きくなってきました。

YAHOOの関連ニュース

もう、いちいち突っ込んでられないんで、取り敢えず関心のあるものだけでも参照にしていただければ・・・(^^;

そんな中で、ある意味“起こるべくして”起きちゃった、このニュース。
「医療費上がり大変」58歳、87歳母と無理心中か

高齢者保険料、免除と知らずに? 山形の無理心中

ひとえにこれは、制度を準備不足のまま見切り発車してしまった事からくる双方の“勘違い”が呼んでしまった悲劇・・・と、言ってしまえば簡単ですが、実際に亡くなってしまった人が出た以上、そんな簡単に片付けられる事じゃない・・・

このニュースを見た人は、きっと“こんな悲劇を生み出すなんて、酷い制度だ”と、素直に感じた方も多いでしょう。
同じように反対姿勢を示してる方や、運動をされてる方は、このニュースを見て“二度とこんな犠牲者を出さないために”と、これを制度廃止へ向かわせるための、ひとつの旗印にする事もできるでしょう。

ただ、私個人はそういう気になれないと言うか・・・
“そういう方向”で語る事は、ちょっと出来ないんですよね。

なぜなら・・・



自分にとっては“あまりにもリアル過ぎる”話だから

ウチもおかんと2人暮らしだし、おかんは腰痛持ちで病院通い(痴呆はまだないだけ随分マシ)
年齢的にも、10年後には私もおかんもここの家庭と同じ構成に到達するし、色々な事情とか考えてみても、かなりの割合で“10年後のウチ”の姿を見るような気がして、そういう家庭が“こういう結末”を迎えちゃった事が、ちょっとシャレにならないと言うかね・・・凄く(色んな事が)“分かり過ぎる”気がして、逆に気持悪くなって吐きそうにさえなっちゃったんですよ。

被害者意識が強すぎるとか、僻み入ってるとか言われるかも知れませんが、そういう色んな“語弊”を承知で敢えて言えば、“他人の不幸を気の毒と思える間は、それはまだ自分にとっては他人事であり、フィクション”なんですよね。
「あの人は気の毒だねぇ」と言う言葉の上には、口にした本人すら気づかないほど小さな文字で“自分でなくて良かった”というフリガナが付いている。

いや、それが悪いとか言うつもりもないし、責める気もありません(私だってそうだもん(^^;)
むしろ、それが人間の“当り前”の感情だし、口先だけで綺麗事言ってるよりかは、その方がよほど信用できるってもんです(^^;

けどね、もし“他人事だった事が我が事になってしまった時”は、到底それを“可哀想”とか“気の毒”とか、思えなくなっちゃうんですよね。
“自分でなくて良かった”“自分はどうしたらいい”に変わった時、その違いはとてもじゃないが文章や言葉なんかで語り尽くせるものではありません・・・

もしどなたかが件の事件を、この制度の見直しや廃止のための“手掛かり、足掛かり”として使われるなら、それは別に私が構う事でも責める言でもないし、それがそういう“世論”や“動き”に繋がるなら、結構な事だと思います。
けど、私には感情的にも心情的にも、出来そうにありません

もし、それすら越えて“ネタ”や“笑い”に出来る様になれば、この先も色んな事を乗り越えて行けるのだろうし、そうなるように努力するつもりですが、まだ今のところその域には達してませんよ、私は(^^;

修業が足りませんね(苦笑)
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by yaskazu | 2008-04-25 23:51 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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