実体を見せずに忍び寄る
映画「ガッチャマン」を鑑賞してから、、もう1週間経ってしまいました。
年々時間の流れるのが早くなってきます・・・(^^;

さて、映画の感想ですが、前述のように観てから日数が経ってるため、細かい部分はかなり忘れてる上、他所様のブログやツイッターで既に色々出尽くしてる感もあるので、大まかな雑感だけで、お茶を濁したいと思います(おい!)



先日のエントリーでも少し触れましたが、この映画「ガッチャマン」、某映画批評で酷評されたことも影響したのか、ネット上では散々な評価をされてますが、実際自分の目で観た印象で言えば、そこまでボロクソな言われ方されるほど、酷い出来とは思いませんでした。

そりゃハリウッドのそれに比べりゃ、太刀打ちできない部分はあるけど、CGはさすが「白組」と言える程には頑張ってたし、東映のヒーロー物や牙狼なんかを見慣れてると、多少物足りない気もするけれど、アクションも中々見応えありました。

異論はあるだろうけど、役者陣も各々キャラクターのイメージに合ってたし、みんないい芝居してたと思いますよ。

原作のアニメ版「科学忍者隊ガッチャマン」を実写で観たいと思ったなら、確かに納得できない、不満だらけになる気持ちは理解できるけど、そもそも実写とアニメは別物だし、アニメをそのまま置き換えるだけなら、実写にする意味も必要もない、というのは、こういうアニメや漫画の実写化に対して、常に自分が主張してることでもあります。

それに、その原作「科学忍者隊ガッチャマン」のマインドみたいなものを、懸命にリスペクトしようとする意気込みは確かに感じたし、ところどころ「ニヤ」っとする遊びもあったしね(バトルで飛び込んだショップの“タツノコグッズ”とか(笑))

そういう、あまりかしこまったり、難しく考えたりしないで、肩の力を抜いて観るという意味では、自分は十分楽しめたし、面白かったです。

ただ、確かにあれだけ酷評される理由というのも、実は分からなくないんですよね(^^;

「俺が見えるか悪党ども、実体を見せずに忍び寄る、白い影が・・・」
というのは、原作からも引用された、ガッチャマンの有名な決め台詞ですが、なんというか、この映画・・・

文字通り、実体がどこにあるのか、どこに焦点あててるのか、どのポイントを観ればいいのかが、非常に分かり辛い印象なのも確かなんですよね。

ひとつひとつの要素、パーツは結構よく出来てるし、健闘してるんだけど、それがひとつの物に組み上がったとき、どうもチグハグで上手く噛み合ってない気がする。

せっかくいい食材を揃えたのに、調理の仕方が上手くなかったため、ビミョ〜な味の料理に仕上がってしまったみたいな感覚でしょうか?

まず、一番気になったのは、全体的に説明不足というか、観ていて話が頭の中で繋がらない、「あれ?」「え?」と思う部分が結構あったこと。

それ自体は、映像作品が尺数に収めるため、脚本段階や撮影素材をカットする、編集することで起きる、ありがちで珍しいことではないんだけど、この「ガッチャマン」に関しては、そういうレベルじゃないというか、「なんで???」って感じちゃうものだったんですよね。

言い換えれば、脚本や演出、編集の段階で、もうひと工夫すれば、格段によくなる可能性もあったのに、なんでこうしちゃったのかなぁって思ったのが、正直なところ。

一番理解に苦しんだのが、本編が終わり、エンディングの後にある、最期の1シーン。
多分、“次”に繋げる意図とか、映像作品としてのインパクトを優先したとか、理由はその辺りにあると思うのですが、正直あれは“蛇足”にしか思えませんでした。

あのシーンに感じた感覚に、非常に近いものがあったのが、「仮面ライダー THE NEXT」の、最後のパチンコ屋のシーン。
せっかく本編で、上手く纏まったと思ったのに、あのシーンのおかげで、映画の余韻を台無しにされたように感じたんですよね。

それと同様、反目しあっていた5人が、ラストでチームとして漸く結束するという、実に奇麗な纏まり方で、ヒーロー物は基本大団円たるべきという、私自身の理想とも合致し、それだけで(不満はあるにせよ)観てよかったと思ったのに、台無しにされたという意味では、「仮面ライダー THE NEXT」と同じでした。

この辺り“小説版”の方では、先に書いた“説明不足”と感じた幾つかの要素や、実際に映画では描ききれなかった裏設定等と共に、しっかり補完、補填されていて、問題のラストシーンも、実に納得のいくものとして補足され、上手く纏められています。

この小説版は、「仮面ライダー1971〜1973」の著者であり、この映画「ガッチャマン」のSF考証でもある“和智正喜”氏の手によるもので、小説としても非常に面白く、読み応えのあるものになってるので、映画を観ても観なくても、是非ご一読されると良いでしょう。

勿論、文章と映像とは全く別媒体だから、単純に比較して語るべきではありませんが、映画は本当は“こういうもの”が作りたかったんだなというのは、十分理解できます。

もう、いっそ和智先生が直々に脚本書いちゃえばよかったのに・・・(^^;

でもね、そういう“映像作品としての”様々な制約や、予算等の事情があったとしても、映像作品としての論法で、もう少し“なんとかできた”可能性が多々あるだけに、そういう意味では、実に“惜しい”作品だったと思います。

もし“次”があるなら、それらがどう改善されていくかに、注目したいと思います。

映画 ガッチャマン デスクマット

キャラアニ



ガッチャマン (角川文庫)

渡辺 雄介 / 角川書店


著者の蘭に“渡辺雄介”とありますが、渡辺雄介氏は映画の脚本であり、小説自体は“和智正喜”氏によるものです。
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by yaskazu | 2013-09-21 22:23 | 映画 | Trackback | Comments(0)
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