明日の伝説
昨日、多くの東映の特撮作品で活躍された、長石多可男監督の訃報を知りました。

確かに驚きましたが、一方で「やっぱり」って思ったのも事実。
詳しい病状や病名等までは存じ得ませんでしたが(何か、かなり厄介な病気だったようですね)お具合が芳しくないという、風の噂はどこからともなく流れてたし、実際ここ数年は全くお仕事をされていなかった様子なので、気にはなってました。

それこそ、助監督時代から数えても、ほぼ途切れる事なく、必ずどこかの作品でお名前を拝見したほど、精力的に仕事をされてきた印象のある人が、ある時を境に急にお見かけしなくなってしまった後、難しい病を患われてるという話を聞けば(勿論、お元気な姿の復帰は願いつつも)どこかで、「もしかしたら・・・」って思ってしまうのも人情です。

そうですか、駄目でしたか・・・

残念です。



長石監督、今の特撮ファンには“平成仮面ライダー”の人という認識が強いと思うし、実際平成ライダーでの功績は、枚挙にいとまないものがあるでしょう。

少しこの話とは若干ずれてしまうのですが、長石監督が撮られた、劇場版「仮面ライダー電王 俺、誕生!」は、この作品に製作スタッフとして参加した、私の専門学校時代の、夭逝してしまった友人の、事実上の遺作となった作品でもあり、私個人にとって、色んな意味で忘れられない作品となってしまいました。

厳密には“平成仮面ライダー”のシリーズではないんですが、長石監督が撮られた「仮面ライダー THE FIRST」は、何か監督自身の「仮面ライダー」に対する“思い”のようなものが、各所に垣間見える映画だったと思いますが、個人的には、“ショッカーの手先”と化していた本郷が、雪の結晶を見て自我を取り戻す、幻想的なシーンが忘れられません。

あれは、本当に美しかった・・・

でも、私が“長石多可男”の名を初めて意識したのは、実は戦隊物でした。
監督が初めて戦隊でメガホンを撮られた「電撃戦隊チェンジマン」で、詳細は失念してしまったんだけど、確か野球が関係したエピソードで、それまでの戦隊で、他の監督が撮られたものとは、明らかに毛色の違う、何か“凄い絵”を撮る人だって、度肝を抜かれたのが最初でした(後に当該回が「幽霊ベースボール」ではないかと教えていただきましたが、調べたところ「輝け!必殺の魔球」だったようです)

その後も「仮面ライダークウガ」でライダーに移られるまで、長石監督の活躍の場は戦隊が中心だった期間が長く、自分らなどはむしろ長石多可男は“戦隊の人”ってイメージが強くて、戦隊でのある種野放し(褒め言葉(w))とも言える、奔放な演出に比べれば、ライダーはむしろ抑えてる気さえしたんですけどね(平成ライダーは石田監督や諸田監督が野放し状態だけど(^^;)

そんな長石監督の“原点”とも思えるのが、かの元祖「仮面ライダー」での、伝説の“石森章太郎”監督回の「危うしライダー! イソギンジャガーの地獄罠」で、長石監督は名目上は監督補ということになってるけど、改めて観てみると、後の“長石演出”に繋がるような映像が、数多く垣間見られます。

思えば、元祖仮面ライダーの頃から、本当に東映の特撮物に、連綿と関わってこられた方だったんですね。

そんな方を失ってしまったのは、無念と言うより、むしろ悔しいです。

ネット上では、業界の関係者の方々や、各作品でお世話になった役者さん達の、数多くのメッセージが寄せられていて、監督のお人柄が偲ばれます。

エントリーのタイトルは、長石監督が撮られた「星獣戦隊ギンガマン」の最終回「明日の伝説(レジェンド)」に因んで。

文字通り、明日の伝説となった長石多可男監督の、あちらの世界での、安らかな休息を願って・・・
[PR]
by yaskazu | 2013-04-04 22:04 | 独り言 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://yaskazu.exblog.jp/tb/19153195
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< イタリアン 1971年 4月3日 午後7時30分 >>