発言
心斎橋で起きた、痛ましい事件。

先頃の、祇園で起きた事故の時同様、自分にとって馴染みのある場所、時期は違っていても、確実に自分がそこにいたことがある場所で、ああいうことが起きてしまうというのは、その“めぐり合わせ”の部分も含め、非常に複雑で例えようのない感情、感傷が起きてしまいます。

ただ、報道やネット上での、よくも悪くも感情的な発言の数々は、最もだと思う反面、当事者である被害者やご家族、関係者等が、どこか“置き去り”にされているようにも感じ、このテの出来事の度に、なんか無責任だよなぁなんて風にも思う次第。

そんな中・・・



大阪府の松井一郎知事の、この件に関しての発言がネット上では賛否を呼んでるとのこと。

松井大阪知事の「死にたいなら自分で死ね」に賛否両論 / ネットの声「正論」、「公人が言うべき発言ではない」

私自身は、確かに感情的、主観的に見れば同意できるんだけど、客観的、倫理的に見れば、立場上ちょっと配慮の足りない発言だとは思う。

ただ、例えばこの記事。

松井知事「自己完結して死んで」 ミナミ通り魔事件で

この記事の中の一文。
「自殺対策の窓口は大阪府にもある」と述べる一方、「行政の支援も受けず、この世からいなくなりたいというのなら、止めようがない」などと述べた。
と、ここを記事として伝えるか、伝えないかで、知事の意図がどこにあったかという印象は、かなり変わってくる。

公人としては不適切というのに変わりはないけど、伝える側、受ける側も、ニュースの一面だけで判断するのではなく、全体を見た総合的な意見を持つ必要があるのではないか?

同じ公人の発言として、最近物議を呼んだ某女性国会議員の、某芸人の親の生活保護の不正受給疑惑に対するものがありますが、これに関しては先に当ブログでも触れたように、その発言の奥に“思惑”のようなものが透けて見える部分が、自分としては非常に嫌なものを感ぜずにはいられなかったし、例え当人に責任があったとしても、結果的に国家権力で個人を晒しものにする行為には、到底同意できませんでした。

それに対し、今回のこの知事の場合、感情が先走ってしまった故に発した言葉で、政治的意図や思惑、“裏”のようなものはあまり感じないし、むしろ東京都の石原知事の数々の“言っちゃった”発言に近いものという印象。

どっちも褒められたもんじゃないのは同じだし、いい悪いの問題でもないけど、その“性質”の違いはしっかり見極め、判断していくのが、私らに求められてるもんじゃないかなと、そう思います。
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by yaskazu | 2012-06-12 21:13 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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