手本
阪神大震災から本日で17年な訳ですが、東日本大震災を経た今年のこの日は、神戸にとっても、例年以上に意味深い日となりました。

神戸では、阪神大震災の起きた午前5時45分と、東日本大震災の起きた午後2時46分の2度、黙祷が行われたそうで、これは東北の被災地でも同様だったようです。

共に稀に見る未曾有の災害に遭った者同士、互いに思い合い、助け合っていける関係であってほしいと、願います。

そんな中、目に止まったこんな記事。

長田手本「気仙沼を復興」 宮城の中学生6人が神戸に

気仙沼は、東北の震災で最も大きな被害があった場所のひとつだし、そこで生き延び、今もそこで日々を暮らしてる、これから正に東北の復興を担うことになるだろう若者たち(てか、中学生ならまだ子供の範疇かな?)が、長田の鉄人や奇麗に立て直された商店街とか町並みを見て、希望を持ってくれたり、手本にしてくれること自体は、とてもいいことだと思う。

けど、その一方で・・・



約2年と少し前、自分が長田の鉄人に会いにいった時に書いた当ブログの記事内で、私自身が懸念してたことも、やはり現実だったようです。

当時のエントリー

セルフで引用
鉄人のすぐ側の新長田一番商店街は、鉄人の効果もあってか結構賑わっていたのですが、ただこの三国志ロードのあった大正筋商店街は、三連休初日の土曜日になのに、案外閑散としていたのはちょっと気になりました。
実際、シャッターの閉まってる店舗も結構あったようで、綺麗に立て直されたアーケード街ほど、実際の復興は進んでる訳でもないのかも知れません。


先日観た深夜のドキュメンタリー番組では、復興は進んでる訳でもないどころか、そこで商売をし、暮らしてる人達は、むしろ地獄の日々を送ってる方達も少なくないという実情を放送していました。

元々大正筋商店街は、木造の家屋が立ち並ぶ古い商店街だったため、倒壊と火災で一面焼け野原状態になってた、神戸の地震でも最も被害の大きかった所でした。

少し嫌な表現ですが、そうであるが故に、ここを復興の象徴として、軒並み近代都市的なビル群として再開発するのは、当時の行政にとっては絶好の宣伝材料でもあったんですね。

結果、確かに商店街は近代的で奇麗な商店街として生まれ変わったし、行政側が被災して店や家を失った、元の商店街の人達をそこに入るように奨めるのは当然の流れだったろうし、元の商店街の人達、特に住み慣れた同じ場所で商売を続けたいような方達にとっては、他の選択肢はなかった事は、想像に難しくありません。

しかし結果として、この商店街に震災前のように人が帰ってくる事はなく、新しい人も呼び込めずに、ビルの中のテナントの殆どは空き家でシャッターが閉まったままで、商店街も同様に閑散としていて、いわゆるシャッター通り商店街と化してしまった。

行政指導に従って、そこで商売を再会した人たちも、そういう状況で商売自体が成り立たず、元の家や店より遥かに高い家賃やテナント料に苦しめられ、借金だけが嵩んだりして、もはや廃業を余儀なくされるとか、それすらマシな方で、店舗や土地に既に価値がなくなって、売る事すらできずに身動きもできないなんて方もおられて、正に生き地獄な状況になってしまってるとか・・・

更に行政側は、現行の入居者の問題や苦悩を解決しないまま、余りにも入居者がないって言うんで、空き室をなんと月額1万円の家賃で貸し出すなんて暴挙に出ちゃったもんで、訴訟問題に発展しかねないと言う事態(そりゃそうだよねぇ・・・(^^;)

ホント、典型的なハコモノ事業の失敗例と言わざるを得ませんが、行政側はこのハコモノに関しての失敗は認めたものの、復興事業そのものは成功したという態度を崩してない・・・なんてのも、正にお役所感覚ですよねぇ( ̄▽ ̄;

今の大正筋商店街の現状は憂うべきものですが、先にも書いたようにこの商店街は、本来地元の人間で保っていた、地域密着型の田舎町の古い商店街でした。
不況のあおりで、そういう商店街が日本全国でどんどんとシャッター通り化が進んでる現状を考えれば、仮にあの地震がなかったとしても、ここはいずれはそうなってしまってた可能性も、確かに否定できない面はあると思います。

でも、それは視点を変えれば、元々のこの商店街の顧客、利用者の多くを占めていたであろう地元の人間が、被災で命を落とされたり、他の土地へ移ってしまったりで、その絶対数が激減した可能性を考えれば、“入れ物”だけ立派なものを作っても、よほどの魅力的なセールスポイントでもない限り、人が帰って来たり、集まってくる事は叶わない(その一環が鉄人プロジェクトなんだろうけど、そもそもアレは民間事業で、行政主導じゃないしね)

これが同じ神戸でも、元々神戸で一番の繁華街である三ノ宮の商店街とかなら、また話は変わってきたのしれないけど、その三ノ宮商店街ですら、見た目こそ奇麗に修復されてても、商売自体は中々震災前みたいに行かないって話も聞きますからねぇ(^^;

立ち並ぶビル群を見て、震災で傷ついた心に、少しでも復興への希望を持った気仙沼の子供達に、そんな七面倒くさい大人の事情や現実まで知らせる必用はないと思うけど、子供達には見せられないそんな現実を作ってしまったのは、大人の責任でもあります。

復興事業とか、復興ビジネス(この言い方は好きじゃないんだが)というのは、ともすればそういうマイナスな側面もあるという事も含め、これからの東北の復興の参考だったり、反面教師だったりに役立つよう、伝えていくのが大人にできる、せめてものの事かもしれませんね。

神戸と東北に、いつしか真の復興と呼べる日が、訪れますように・・・
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by yaskazu | 2012-01-17 22:09 | 社会 | Trackback | Comments(0)
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