バスに乗ってた時、ふと窓から空を見た。
冬の澄んだ空に、少し細長くて大きい雲が浮かんでいた。 太陽を半分ほど、その先端に隠すようにその雲が被り、半分の大きさにになった太陽光が逆光のように雲の先端を透過光のように照らした時、その雲がなにか巨大な宇宙戦艦が大空に浮かんでるように見えた。 そう言えば、空に浮かぶ雲を雲としか見なくなって、どれくらいになるだろう。 子供の頃・・・というよりは、少なくとも10代の頃までは、空に浮かぶ雲が色んな物に見えていた。 雲の形が、カッコイイ戦闘機に見えて、そのイメージを膨らませて自分でデザインした戦闘機をノートに落書きしたのは、ちょうどヤマトや松本零士メカが流行っていた頃だった。 怪獣に見えた事もあったし、ヒーローに見えた事もあった。 入道雲が、空に浮かぶ巨大な建造物に見えた事もあった。 その頃のように、雲がそんな風に見えたのは、本当に何十年ぶりだろう? いつから、そういう“感性”を忘れてしまってたんだろう? いや、大人になってからも、本当は雲が雲じゃない物に見えていた事を、気づいていなかっただけなのかも知れない。 その時々で、自らその記憶を、無自覚のうちに封印していたのかも知れない。 バスの座席に座り、発車までのほんの数分間の間に、少し疲れてた事もあったのかも知れないけど、本当に何気なく、ナチュラル・・・というよりは、ニュートラルな気持で、窓から見た雲がそう見えたという事は、そのニュートラルな心が、雲を戦闘機や建造物に見せていたのかも知れないなと、そう思った。 時間が経てば流れて形が変わり、いずれ消えてしまう雲というものの、その一瞬の姿を別の物として捉えるという感性は、ただの壁の染みや樹のくぼみが人の顔に見えるとか、ガラスやレンズの写り込みが、得体の知れない発光体に見えるとかいうものとは似て非なるもので、その人間個人個人の人格の本質に関わってくるような、本来最も大切にすべき部分だと思う。 ある程度の年齢になった今、そしてこれから、こういう先行きの全く見えない世の中、社会だからこそ・・・ そういう気持を、もっと大切にしていきたいと思う。 そういう心こそ、この後の人生に必用なんじゃないかと・・・ おおおお!わしって、なんて詩人!(w いや、色々疲れてるだけだと思いますが(^^; でも、そういう気持を持ちたいねってのだけは、本当にそう思ってます。
by yaskazu
| 2011-01-07 23:21
| 日々の戯れ言
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