大魔神カノン 最終回 感想
大魔神カノン 第26話「歌恩」脚本:大石慎司 監督:坂本太郎
お待たせいたしました。
いよいよ最終回という事で、感想もちょっと本腰入れてやってみたいと思います(相当バカ長いのですが、そこはご容赦(^^;)

雑感であったり、総論であったりは、先に書いたエントリーで概ね語ってますので、この感想書いた後に、もし言い足りない事が出てきた場合は、また後日改めてという事で。

それでは最終回の感想、本題へ!



※オープニング
近年の特撮やアニメの最終回ではもはや通例とも言える、タイトルにナレーションを被せた簡易バージョン。
決まった尺に収めなきゃならない分、本編優先するために仕方のない事だと思うけど、あのオープニング結構好きだから、ちょっと淋しい。

ただ、最終回ではそのナレーションが「人を信じる事を選んだひとりの女性が・・・」になってるのには注目。
都会で生き方を見失った〜人を信じる事に迷う〜人を信じようと願う〜と、段階を経て、遂に人を信じる事を選ぶに至った訳で、これまでのカノンの道のりを見守ってきた者にとっては、なかなか感慨深いものがあります。

※疑念
ゴンベエさんに封印されて、大人しくしているイパダダに、自らもその身に、一度イパダダを取り込んだサワモリとカエンジは不審に感じてる模様。

この冴木賢人のイパダダが、近来稀に見る凄まじい憎悪と悪意に満ちた、過去最悪なのイパダダであることを、2人はよく知っている故、この静けさは逆に不気味ですらある。

勿論そこには、イパダダの“策略”があった訳ですが・・・

※ブジン様もイケズだねぇ
ショウタと共にやって来たイケチヨ姐さんのこの言葉に、タイヘイの“バカタレが!”に怒った時とは打って変わって、妙にしおらしく反省しちゃってるブジン様(笑)

勿論、ブッ倒れるまで自分に話しかけ続けたカノンの姿を目の当たりにしたからってのもあるでしょうが、ここはもしかしたらオリジナルの大魔神同様、“女子供に弱い”って事かな?(w

ここで初めて、カノンがあそこまで懸命に自分に訴え続けた理由を、イケチヨの口から知らされる訳ですが、そこで前回の、カノンが自分の事を話さずに、ただ思いを伝えていた事が生きてくる。

自分自身が、辛く悲しい経験を乗り越えて来たにも拘らず、それを決して相手にひけらかしたりはせず、ただブジン様の心情だけを考え、自分が倒れてしまうまで話し続けていた姿が、カノンの心に“嘘”がない証しとなり、それがブジン様の心を動かす事に繋がるのでしょう。

※提供バック
最終回は、なんと提供バックにまで本編が流れてます(^▽^;
なんでも、尺数が相当オーバーしてしまったそうで、編集に相当悩んだ末、出来るだけ残すための苦肉の策だった模様。

因みに、アバンからCMまでの最初の提供バックでは、目を醒ましたカノンがタイヘイから、ゴンベエさんがイパダダの封印に成功した事を話してるシーンが使われています。

※兄ィちゃん!
父ちゃんとあかりさんの祝いの宴のシーン、カノンの隣にしれっと座ってる、どこかで見たような、何やら長髪で髭ヅラの不審人物・・・・って、おい!

もしかしてコレは・・・オ・・・オダ・・・

オダギリジョーじゃないか!!!

下手すりゃ、クライマックスのブジン様の活躍シーンも霞むんじゃないかってほど、ある意味最終回の最大サプライズでした!

役柄としては、カノンの兄ちゃんという事で、実は第1話から存在は示唆されてたのですが、どんな人物かはこれまで謎だったんですね。

幸太郎と別れた後に、励ますつもりで“お茶目”なメールをカノンに送ったり、自分で面倒見るとエエカッコしたのに、結局父ちゃんにカノンのアパート代泣きついたりとか、優しいけど頼り無さげなアニキだというのは推測できたのですが、その役にオダジョー連れてくるとは!(しかもハマってるし(笑))

後にひと言だけセリフはあるものの、特別出演とか友情出演などではなく、エンディングで“その他大勢”の中にポツンと名前がある、完全にエキストラ的な扱いで、本人もそういうカタチならという事で実現した出演だったらしいのですが、それまた“如何にも”な話です。

まぁ、正直兄ちゃんに関しては、なにかしらの“サプライズ”の可能性は考えられたけど、さすがにオダジョーはないだろうと思ってたんで、チョイ役であっても、とにかく高寺作品に彼が“出てくれた”ってだけで、ファンにとっては感無量です(^^)

因みに役名は“巫崎フーガ”。
父がばろく、妹がカノン、兄がフーガって、冗談みたいな家族だな(笑)
しかも、フーガは多分クウガにもかかってるって、出来すぎだ(^^;

因みについでに、オダジョーの横には“鈴村監督”も座ってます。
外にも色々おられたようですが、オダジョーの隣に鈴村監督ってのが“ツボ”な訳で(笑)
もうこうなったら、荒川さんや高寺Pも横並びに出ちゃえばよかったのにね(そうなったらもはや単なる“怪しい集団”(w)

※ブチンコ〜!
ブチンコ、お役目の名目で、遂にカノンの胸の谷間に・・・って、おい!

ちくしょう羨ましいな、イケチヨさんやハシタカさんと来て、遂にカノンの胸にまで!!!!
一度でいいから、わしにもやらせてみてくれ!
・・・・って、違う、誰がオタキさん連れてこいって言ったーーー!!!(脱線失礼(^^;)

※みんなに贈るいのりうた
新しい“いのりうた”を、皆の前で披露するカノン。
歌う前の父ちゃんへの挨拶は、これまでの感謝を込めた、実にグッとくるものだったけど、それじゃまるで自分が嫁に行くみたいだぞ!(^^;

そして、歌い始めた新しいのりうたは、ブチンコとタマッコを通じてブジン様の元へ届く事になります。

新しい歌詞の内容とか、書けばいいのかも知れないけど、著作権とかもあるだろうし、気持的には未見の人に、是非実際に御自身で確かめてほしいので、敢えて書きません。

え、単に面倒くさいだけだろうって?
うん、それもある(あっさり認める(笑))

けどそれは、タイヘイの言葉通り、カノンの経験がいっぱい詰まっていて、フーガ兄ちゃんが言ったように、実にカノンらしい歌になったといえるでしょう。

あと、これは当初から意図的に感じていた事ですが、敢えて今まで書かなかった事を・・・

それはカノンの、と言うよりは、演じる里久鳴祐果の歌の事。
いや、別に下手とまでは言わないけれど、ボーカリストを目指してるとか、歌姫って設定から考えれば、むしろサキ役の夏菜の方が、ビジュアルも含めて遥かにそれ“らしい”のに対し、里久鳴祐果の歌は、あまりにも“普通”なんですよ。

しかし、最終回で皆の前で歌うカノンの歌を聞き、感じてた“意図”を確信しました。
その歌は、ボーカリストや歌姫が歌い上げると言うよりは、むしろ母親が子供に歌い聞かせたり、幼稚園とか、或いはあかりさんみたいな介護施設の先生が、オルガン弾いて歌ってるような、“ナチュラル”な歌声に近い。

技術や歌唱力で感動させる事は、ある意味容易な事で、この作品が描こうとした“心からのいのりうた”とは、違っていたのではないか?
幼い頃のカノンの歌がタイヘイの心を捕えたような、拙さが故に伝わる要素が必用だった。
その為に、里久鳴祐果の“ナチュラルな歌声”が必用だったのでしょう。

技術に裏打ちされた“上手い歌”は、例えその意図が無くとも、どこかに“媚び”を生んでしまう。
頑な自分に対し、そういう“媚び”の無い、ただ誠実な思いや願いを語りかけてきた、カノンの心そのものの歌だったからこそ、ブジン様は立ち上がり、“歌う気持”をも取り戻せたのではないでしょうか。

※大真心、起つ
カノンのいのりうたに応え、遂に復活を遂げるブジン様。

手を交差させ、岩の顔から本来の顔が現出するサマや、岩を吹き飛ばし地響きを起こしながら立ち上がるその姿は、カメラアングル等も含め、オリジナルの「大魔神」へのオマージュな、迫力のあるシーンに仕上がってます。

ちょっとはた迷惑だけどね(^^;

また、ヒロインの願いに応えて立ち上がるというのも、正に“大魔神”な訳ですが、何度か書いてるように、カノンはいわゆる“清廉潔白な乙女”ではなく、痛みも汚れも知った上で、なお正しくあろうとする“少し大人の女性”だというのが重要。

痛みを知った心が、痛みを持つ心に呼びかけ、貰った真心には、それ以上の真心で応えようというのが、オリジナルとの一番の相違点であり、物語のテーマでもある。
だからこそ“大魔神”ではなく“大真心”なんですね。

※私は新しくなる・・・
放った“魂式”が出現し、サワモリ達の守備を切り抜けて、ゴンベエさんの腹の封印の札を剥がした事で、イパダダ復活。

イパダダがゴンベエさんに封印されたのは、ゴンベエさんの力を取り込み、より強大な存在になるためだったようですね。

イパダダがゴンベエさんの腹を食い破るところは、なんだか「ALIEN」みたいですが、ゴンベエさんあの後どうなっちゃったんでしょう?

まぁオンバケさんだから、多分死んじゃいないと思いたいけど・・・(イケチヨ姐さんがヘトヘトになってあのお腹さすってる図を想像(^^;)

※大真心歌う
地響き立てて、カノンの“いのりうた”を歌いながら、礼を言うためと巫崎家までやってきたブジン様。
事情を知らない列席の皆さんは、完全にパニック状態で外に出て大騒ぎしてる中、前列のおばさんが“ホウキ”でブジン様を威嚇してるのが、個人的にツボ(笑)

でも、やっぱちょっと迷惑だ(^^;

上條恒彦さんによるブジン様の歌声は、ちょっとシブすぎるくらいだけど、これは今回のクライマックスシーンとも関わってくる事で、ブジン様は本来その歌声で、人間を癒していただけでなく、イパダダをも諌めていた“大いなる存在”であり、それを歌と声で表現出来るのは、上條さん以外なかった。

カノンの歌に、里久鳴祐果の“媚びのないナチュラルさ”が必用だったように、ブジン様の歌には上條さんの“包み込むおおらかさ”が必用だったのでしょうね。

にしても、首ふって楽しそうに歌ってるブジン様は、なんか可愛いなぁ(笑)
昔、ブジン様がみんなから愛されていたというのが、ちょっと分かります(^^)

※一緒に歌ってくれ
イパダダが封印を破って暴れだした事を知り、自ら討伐に向かうブジン様に、一緒に行って役立ちたいと願うカノン。
これも、これまでの経験を通じ、中途半端には関わらないと決めたカノンの決意が嘘ではない証しでしょう。

そんなカノンの思いに、ならば共に歌ってくれと応えるブジン様。

前回と今回のブジン様の言葉から考えれば、どうやら“いのりうた”にはイパダダの悪意や邪念を諌め、封じる力もあるようで、自らの心を開かせた“カノンのいのりうた”は、過去最強最悪なイパダダの心にも必ず響くと信じ、その歌を届けてくれた現代の歌姫に、共に歌って欲しいと願うのは、ブジン様のカノンに対する、この上ない感謝と信頼の証しでもあります。

ブジン様の肩に乗り、頭に手に添えながら、共に“いのりうた”を歌いながら進んで行くビジュアルは、クライマックスに向けて一気にボルテージを加速させます。

※髪切れ!
外で大騒ぎになってるのに、知らん顔して料理食ってる兄ちゃんに、どこへ行ってたんだか垂れ幕の後ろから飄々と出てきて、兄ちゃんに“髪切れ”って・・・なんだこの超マイペース親子(笑)

このやりとりは、おふたりの“アドリブ”だそうですが、とても息が合っていて、正にこの父にしてこの息子ありって感じで、爆笑してしまいました(^▽^)

※対決!
最終回、最大のクライマックスとなる、ブジン様とイパダダの直接対決!

イパダダが、触手のような長い腕で、高圧鉄塔を何本も引き抜き、ブンブン投げてくるのを、かわしながら進撃するブジン様。

ブジン様のスーツは肉厚がある分、伊藤慎さんのスマートなシルエットはあまり感じませんが、飛んでくる鉄塔をかわす動きとか、端々に“伊藤さんっぽさ”が出ていて、ちょっとニヤニヤ(笑)

ブジン様と共に、いのりうたを歌いながら“きずな橋”まで走ってきたカノンを睨みながら、橋を落とそうと鉄橋に手をかけるイパダダと、阻止しようと反対側から橋を支えるブジン様。

山間に架かる橋を挟んだシュチュエーションは、ちょっと平成ガメラ1作目っぽくもあり、次の高寺Pの作品は、新作ガメラだと勝手に推測(え

駆けつけてきたタイヘイとイケチヨ姐さんが、橋の上からカノンを逃がそうとした時、背後に廻られたイパダダに、前に押し倒されるブジン様。
まだカノン達が走ってる背後で、倒れるブジン様と共に、無数の破片となって大崩壊するきずな橋・・・

完全に怪獣物とか巨大ヒーロー物のノリ!、もう大好き!!(^^)

先のブジン様の肩に乗ったカノンから続くこの一連のシーンは、時間こそ短かったものの、その分非常に密度が濃く、多分自分はこれが見たくてこの番組を視聴し続けたんだなと思えるような、とても充実したものに仕上がっていました。
正直、こういうのをもっと観たかったって気持はあるけど、ここまで引っ張ったからこそ、ここで満足感が得れたとも言える。

ただ、そうであるが故に、イパダダとの対決は最終回まで持ち越したとしても、ブジン様はもう少し早い段階で復活させ、カノン達との触れ合いや、信頼を深めて行く過程を、あと少しだけ丹念に描いてほしかった。

そうすれば、視聴者側もブジン様にもっと感情移入ができて、この後のシーンが、更に感慨深いものになったと思ので、そこはちょっと残念。

※我を信じよ
尚も猛り、吼え、暴れるイパダダに対し、駆けつけてきたサワモリ達オンバケ一同と共に、いのりうたを歌ってブジン様を支援するカノン。

やはり、いのりうたにはイパダダを封じる力があるようですが、それは恐らく、人間の邪悪な怨念の塊であるイパダダだからこそ、心の底では実は癒しや穏やかさを求めているから。

そして多分、カノンが自身の紆余曲折の末に書いた新しい詞は、冴木賢人の“最も否定してきたものであると同時に、最も求めていたもの”を刺激する言葉に溢れている。
だから、それを受け入れる事は、自分の存在を否定する事になる。
だから拒絶する、だから苦しむ。

崩れた橋の下から立ち上がり、みんなと共にいのりうたを、イパダダを宥めるかの様に歌いながら、まるで泣き叫ぶ赤ん坊を抱きかかえる様に自らの中に封印して行くブジン様の姿は、正しく大きな真心に満ちた、大いなる存在“大真心”です。

「案ずるな、我を信じよ」
「私は、誰も信じなーい!」
ブジン様の言葉に対するイパダダの叫びは、どこか悲しげで淋しそうにも聞こえます。

この一連のシーン、圧巻すぎて、最初言葉も出ませんでした。

※我はここに居る
イパダダをその身に取り込んだまま、再び岩になってゆくブジン様。
史上最強最悪となった冴木賢人のイパダダが、また封印を破って暴れるのを防ぐためには、イパダダと共に自らを封印し、長い時間をかけて話し合う事で、その魂を清める以外、方法は無かったようです。

結果的に、またイパダダ退治のためだけに、目覚めさせたようなカタチになってしまった事に、胸を痛め詫びるカノンですが、ブジン様は後悔していない様子。

むしろ、本来の自分の役割や存在理由、人間を信じる心、歌を愛でる気持、歌う楽しさや喜びを呼び戻させてくれたカノンに、心からの感謝を胸に、自分がいつでもこの場所に居る事、いつでもこの地で歌って欲しい事を告げ、岩となったブジン様。

その姿は、以前のような、疲れ果てて項垂れている如きものではなく、しっかり前を見据え、胸に何かを包み込む様に腕を組んだ、文字通り神像のような神々しさを放っているようです。

※ゆっくりと話そう
ブジン様の意識世界の中、対峙しあうブジン様と冴木賢人。
自分の名が“オオマヒト”だと告げ、冴木にも名を訊くものの、彼は応えず、不敵な笑みを浮かべて見つめているのみ。

一度は人間の悪意に曝され、心を閉じてしまったブジン様にとって、過去類を見ないとまで言われるほどの、大きな悪意と憎悪の存在である冴木賢人と向き合う事は、改めて閉じていた自分の心と向き合う事でもあり、それ故に彼の心を開く事が容易ではない事も分かっている。

冴木にとっても、自分の心の深い闇の奥底にある、悲しさ、寂しさ、本当は求めているであろう愛と、向き合って行く事になるだろうけど、自分の心がブジン様の話を簡単に聞き入れないであろう事は、彼自身が一番よく分かっている。

「まあいい、時間はいくらでもある・・・・ゆっくりと話そう」
その言葉どおり、どうやら長い話し合いになりそうです。

オリジナルの「大魔神」アラカツマは、人の心の中の邪悪を、憤怒による鉄槌で、その人間の命と共に滅ぼす存在だった。
それに対し、この「大魔神カノン」のブジン様、オオマヒトは、死して肉体が滅んでもなお収まらない、人間の悪意の権化であるイパダダを、慈愛による海容で清めようとする存在。

一見、真逆に見えながら、その“本質”は、実は同じところにあるという意味で、この作品は、紛れもなく「大魔神」だったのだと言えるでしょう。

※カノンとタイヘイ
東京へ戻る事になったカノンは、“だいちゃん”に行けばまた会えるかとタイヘイに訊くものの、歌姫を探し出してブジン様を復活させるという、今回のお役目を終えた以上、タイヘイはまた別の人間を助けなければならない。
それが、オンバケとしてのタイヘイの存在理由であり、お役目だから・・・

もう、今までのように会えなくなる事は、2人にとっても辛い事のようですが、でもそれを越えて行かなければ、共に前には進んで行けない。

ここでよく有りがちな、“人間と妖怪の垣根を越えた愛”とかいう、陳腐な展開にしなかった事は正解だと思う。
カノンとタイヘイは・・・と言うより、人間とオンバケは、そういうものすら越えた、厚い信頼で繋がるべき関係だと思うし、これまで描かれてきたカノンとタイヘイの関係も、そういうものだったと思うから・・・

そしてタイヘイは、やっぱりこの番組の“ヒーロー”だったと思う。
たったひとりの女性のため、影になり日向になり支え、見守り続けたタイヘイは、カノンにとっては“ヒーロー”以外のなにものでもなかっただろうし、自分を必用とする全ての人のために生きるというのも、正にヒーロー。

五代雄介にも、ヒビキさんにも通じる“高寺流ヒーロー”の心を受け継いでいたのが、タイヘイだったと言えるでしょう。

ところで・・・橋壊されて、カノンはどうやって東京に帰ったんでしょう?(^^;

※いのりうた
エンディングは、ブジン様の岩の麓で、バーベキューパーティーの場での、カノンとサキのデュエットによる“いのりうた”

あれから多少時間が経ったのでしょうか、そこにはバイト仲間達と共に、若松やくららの姿もあります。
サキと共に歌ってるというのは、帰国した彼女と約束した通り、今は2人で組んで音楽活動をしているということでしょうか。
若松の姿があるというのは、案外今は彼と付き合っちゃってたりするって事か?(^^;

そしてくららが居るのは、あのあと少しは母親との関係が修復され、自分の意志を聞いてもらえるようになったという事でしょうか(そうあってほしい)

いのりうたが、“きれいごと”であるはずの、元のものになってる事にも注目。
そこには、苦しみも悲しみも越えて、自分なりの答えを見いだせた時、きれいごとはきれいごとを越えて、真実になる。
理想は現実にするための目標であり、そのために頑張る事が大切だという、五代雄介の“きれいごとがいいんだ”に繋がる、高寺Pの“軸の変わらない”メッセージが込められてるように思います。

そしてそれこそが、おばあちゃんがいのりうたを通して、カノンに本当に伝えたかった事だったのではないでしょうか。
そしてそれが叶った時、イパダダの出ない、オンバケと人間が共に暮らせる日が来る。

それを祈って、この感想も終えたいと思います。
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by yaskazu | 2010-10-16 21:15 | 特撮 | Trackback | Comments(0)
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