ラスト1話前。
既に最終回も放送済みで、物語の着地点も分かっているのですが、元々周回遅れでやってる感想だし、次の展開が分かった上で尚、“自分なりの”感想を書こうというスタンスでやっているものなので、あくまでマイペースで書いていきます故、ご理解の程を。 さて、本記事は25話の事を。 この回は、本編の大半をブジン様とカノン&タイヘイとの対話で占めています。 カノンの呼びかけや、タイヘイの憤りにも、尚も立ち上がろうとしないブジン様は、引きこもりを通り越してもはや“駄々っ子”の領域(^^; それだけブジン様が頑になるのは、相応の理由はある訳ですが・・・ その辺りも含め、本題。 今回の“キモ”となる、カノンとブジン様の対話シーン。 その内容はこれまでカノンが辿ってきた道のりと、ブジン様の心情というものが、ひとつひとつリンクしてるんですね。 頑に口を閉ざすブジン様に対し、カノンが新たに詞を書いた“新しいいのりうた”を、とにかく聞いてほしいと歌おうとした時、それに反応して漸く話し始めてくれたのはいいけれど、その新しいいのりうたすらもマトモに聞こうとせず、カノンの“岩の姿よりも人間と共にある方がブジン様らしいと思う”という言葉にすら、自分の気持をお前達が知る必用はないなんて言っちゃう辺り、ホントに筋金入りの“引きこもり”さんです(^^; ただこのくだり自体、初期の頃カノンが、タイヘイが口ずさんでた“いのりうた”に導かれて公園で出会った時、事情を知らなかったタイヘイの言葉に、なんにも知らないくせにと拒否した事や、その後も人との関わりを断とうとしていたカノンに、殆どストーカー状態で付きまとって(笑)説得してたタイヘイを、頑に拒絶してた頃のカノンの姿と、リンクしてるんですね。 だからこそ、そんなブジン様の気持が分かるカノンは、自分達にも悩みを打ち明けてほしい、何か力になれないか聞かせてほしい、人間とオンバケは共に支えあって生きていくのが正しい姿だ、ブジン様の悩みは自分の悩みだと思ってる・・・と、懸命にブジン様に思いのたけを語りかけます。 かつて、自分がタイヘイやオンバケさん達が、自分にくれたものを、オンバケの始祖であるブジン様に、今度は自分が返す番だというように・・・ ここで屁理屈言うななんて言っちゃう辺りは、ブジン様単なる“我がままオヤジ”みたいですが、そこでタイヘイの“そんな言い方ないだろう”って突っ込みに咳払いして誤摩化すあたりは、結構お茶目で可愛いかったり(笑) ブジン様の方からの、“お前にとって歌とはなんだ?”という質問に対し、歌は人の心を優しく出来るもの、歌を通してみんなに幸せになってほしいと、自分の思いを伝えるカノン。 ブジン様も、かつてはカノンと同じ思いで人々に歌い、歌と共に人を愛し、共に暮らし、人のために働く事に喜びを感じていた事を懐かしそうに語り、やはり本当はブジン様も人間が好きな事、歌いたいと思ってる事、それこそがオンバケ本来の姿である事を確信したタイヘイを喜ばせたりもするのですが・・・ それでも尚、ブジン様はもう自分は人のために歌う事が出来ない、なんて言っちゃう。 人間の事を信じられなくなった自分は、前のように歌う事はもう出来ないと・・・ そう、ブジン様が歌えなくなった理由、岩の姿のまま立ち上がろうとしない理由は、人間のせいというよりは、むしろ人間を信じられなくなった、自分の心の内にこそあるという構図は、正に“いのりうた”を歌えなくなってた頃のカノンの心情とリンクしてるんですよね。 更に、ずっとブジン様の傍らにいた“タマッコ”が、ブジン様に頼まれて時折いのりうたのメロディーを“はわわわ〜わあ〜♪”って奏でていると、それを聞いて泣いていたという事実。 本当は大好きな歌なのに、それを歌えない苦しみ、奏でを聞いては泣いてしまう姿も、好きな音楽が今は自分を苦しめ、悲しませるという意味では、カノンがかつて経験した苦しみであると同時に、少なからず“サキ”や“くらら”の事も投影されているように思います。 ブジン様に語り続けるカノン。 確かに人を信じても裏切られ、傷つく事もあるけれど、それでも自分は人を信じる事を諦めたくはない。 人を信じて一緒に歌う事が好きだから・・・ そんなカノンに対しても、いのりうたを歌う事でイパダダを諭し、封印してきたブジン様は、人を信じる事も、歌う事もできなくなった今の自分は、イパダダと戦う力も持っていない、役に立たない存在だから、もう構わずひとりにしといてくれとまで言いだす始末。 ここまで来ると、引きこもりと言うよりは、もはや駄々っ子の領域なブジン様(^^; しかし、ここまで頑に心を閉ざし、他者との関係を拒否して、人の好意や言葉を受け入れようとしない姿は、かつてのカノンにも通じると同時に、カノンの事を偽善者と言い放った、かなめの姿が重なります。 この一連の、カノンとタイヘイのブジン様とのやりとりは、まるで今まで物語の中でカノンが辿ってきた道のりをトレースしているかのようですが、実はここが今回の重要なポイントなんですよね。 カノンがこの地に至るまでに経験してきた苦しみや悲しみは、そのままブジン様の心を閉ざしてるものと根を同じとするもの。 それを乗り越え、自身を取り戻し、以前以上に強くて優しい心や、他人に対するある種のしたたかさを身につけ、自分の歌を取り戻すに至った事や、それを支えてくれたタイヘイ達オンバケに、人間と変わらない信頼を持ち、感謝ができるカノンからこそ、単なる“歌姫”という存在を越えて、ブジン様を真に立ち上がらせる事が出来る存在。 そう、こういう類いの物語では定石な、“汚れを知らない処女(おとめ)”や、“純粋無垢な少女”では、ブジン様の心を動かす事はできない。 ブジン様もまた、例えばオリジナルの「大魔神」アラカツマ様の様な、人知を超越した存在などではなく、人の善意によって生まれた、人と同じ魂や心を持つ存在だからこそ、愛する人間達の剥き出しの悪意に曝され、折れてしまった心は、容易な事では立ち直らない。 そういう視点で見ると、この「大魔神カノン」という物語は、ともすれば一見生ぬるいとも思える、ちょっと甘ったるいような作風に見えて、実は人間のかなり“生々しい”部分を、結構容赦なく描いていた事が分かります。 だからこそ、不容易に“えげつない”方向に流さないために、敢えて“ケレン味”や、エンタメ性といったものを抑えたかのような作り方をしたのかも知れません。 いや、むしろもっと“えげつない”作品にしてしまった方が、作品のテーマをよりストレートに伝える事ができただろうし、もっとファン層を広げる事も、いわゆる“ヲタ層”の支持も、得る事ができたかも知れない。 でも、そんな事はちゃんと分かっていながらも、そんな論法で支持や人気を得る事は本意ではないし、この作品にはそういう方向は相応しくないと判断した。 表面上、例え“派手さや吸引力”に欠け、説明不足と感じる部分があったとしても、その中からでも、そこに描かれ、伝えようとするものを、受け手側が“自分で読みとる”事を求める作品。 確かに敷居は高いかも知れないけど、そういうものこそが、キャッチフレーズである“大人の御伽噺”と呼べるものになり得るのではないか・・・ 番組開始当初から、私が見極めてみたかった、高寺Pが「大魔神カノン」を“こういう作風”にした事の真意は、その辺りにあったんじゃないかなと私は受け止めたのですが、さて・・・ 話が随分逸れました(^^; ブジン様に“おせっかい”などと言われつつも、懸命に語りかける事をやめないカノン。 ここで脚本や演出が秀逸だと感じたのは、この回の構造がこれまでのカノンの辿ってきた物語とリンクしてるなら、ブジン様との対話の中で、カノン自身が自らの体験を語ったり、回想シーンで今までのエピソードをカットインする等の演出をすれば、よりそこが分かり易くなるはずだし、こういう場合の方法論としては、むしろ定石なものと言える。 しかし、この作品はそういう選択をしなかった。 ここまで深く心を閉ざした者に対し、自分の経験談や、生半可な説教を嗜めてみても、却って相手の心を逆なでしたり、より深く傷つける事になりかねないし、事態は決して好転しない事を、カノンはこれまで身をもって経験してきた。 例え拒否されようと、怒りを買おうと、ただひたすら、心から話しかけ、自分の気持を真摯に伝え続ける以外、その硬い心を解きほぐすことは決して出来ない事は、カノン自身が一番よく知っている・・・ だからこそ、少しくどいとも思える程、カノンとブジン様の対話を、ひたすら続ける事で、それを伝えようとしているんですね。 もしここで、脚本や演出が“余計な事”をしてしまったら、せっかくこれまでの24話分で積み上げ、この25話で昇華させようとしている事が、“台無し”になってしまいかねないから・・・・ そして、これまでカノンを傍らでサポートしていたタイヘイも、あまりのブジン様の“頑さ”に、遂に感情が爆発します。 タイヘイにとってブジン様は、オンバケとして最も尊敬していた存在であり、自らの目標でもあった。 ブジン様のようになりたい、ブジン様のように生きたいと思っていた・・・ そのブジン様が、例え人間によって深く傷つけられたのだとしても、それによって人間を信じる事ができなくなったとしても、カノンの懸命な訴えにも応えず、信じて待っている者の期待にも応えようとしないその姿に、怒りと失望を抑えきれなくなったタイヘイは・・・ 一方、百霊となったイパダダとゴンベエさんの戦いは、一進一退を繰り返しながらも、少しゴンベエさんの方が旗色が悪くなってきたようで、起死回生を図るため、イパダダ討伐隊のオンバケ達が、ハッコクさんから伝授された“大縛りの術”・・・まぁ、精神波で動きを封じる技のようですが、技名の響きがちょっとエロく感じるのは、私の品性の下劣さ故か(^^; しかしその甲斐あって、ゴンベエさんは自らのメタボ腹(・・・(^^;)の中に、イパダダを封印する事に成功。 遂に、長かった冴木賢人のイパダダとの戦いにも、終止符が打たれた、ように見えたのだけど・・・ ゴンベエさんがイパダダを抑え込もうとした時、その指が数本分離して飛んでいくサマがハッキリ描かれてる時点で、最終回の展開が既に示唆されている訳ですが、そこはまた最終回の感想にて。。 怒りの収まらないタイヘイは、思わずブジン様に対して叫んじゃいます 「この・・・・バカタレが!」 まぁ、正に分からず屋の頑固親父に対して、思わず放った一言といった感覚なのですが、バカタレと言われてちょっと怒っちゃうブジン様も、また大人げない・・・(^^; しかしここで、一晩中東京から山形まで、タイヘイの後ろでスーパーカブの2人乗り(!)で走ってきた上、そのまま眠らずに険しい岩肌を越えてこの渓谷に来て、休まずにブジン様に必死に語り続けてたカノンは、遂に限界が来て倒れ込んでしまいます。 え・・・と、これはやっぱタイヘイがもう少し気遣ってやるべきだったよねぇ(むしろここまで保ったカノンの方が凄い(^^;) タイヘイに背負われて谷を降りる際にもなお、ブジン様の事を気にかけてる様子のカノンの姿に、当のブジン様は無言のまま、何を感じたのか・・・・と、ここは正に最終回に繋がるところ。 自宅に戻ったところで、タイヘイも自分の不手際でカノンが倒れちゃった事を、ばろく父ちゃんに謝るのですが、この時の父ちゃんの微妙な反応が、なんだか笑える(^▽^) イパダダ封印の成功で、盛り上がるオンバケさん達ですが、先のシーンでイパダダから分離した“指”が、やがて人のカタチを成して立ち上がり・・・ というところで、遂に最終回へ! 後、今回エンディングには「歩いて帰ろう」の2番が使用されてます。 なんとも今回の内容にバッチリとハマる詞で、本編観た後にこれ聞いたとき、ちょっと鳥肌立っちゃいました(^^; 誰が正しい、そんな事誰にも分からない。 私だってそう、気づかず傷つける事もあるでしょう。 擦り傷は頑張ってる証し かさぶたは乗り越えた印・・・ 曲自体もとてもいい曲なので、よければ是非ご一聴を(^^) 表題の「あした天気になぁれ」は、前期エンディング、同時収録に後期エンディングの「歩いて帰ろう」
by yaskazu
| 2010-10-09 23:47
| 特撮
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