盲目のピアニスト
ここ数日、毎日の様にニュースやワイドショーで見るこのキーワード。
確かに、最近“ろくでもない”話題ばかりが目に入ってくる中、数少ない“明るい話題”なのは事実かも知れません。
彼の功績は素直に讃えたいと思うし、音楽の事とかピアノの事とか全く分からん、興味の無いおやぢですら“凄い”と思ったのだから、多分本当に“本物”なのでしょう。

ただ、やはり最初に“盲目の”って部分が強調されてしまうのはどうにも引っ掛る(^^;
“盲目の”若いピアニストが素晴らしい功績を残したのではなく、“素晴らしい功績を残した”ピアニストが盲目だったって表現が本当なのではないかと思ってしまうのですよ。

第一そんな事言い出したら、同じ盲目だった“レイ・チャールズ”や、難聴だったと言われる“ベートーベン”はどうなるんだって事にもなる。
あの人達は決して障害を持ってたから偉大な音楽家になったわけじゃないでしょう?



目が見えないというのは確かにハンデなのかも知れないけど、彼にとってはそれが日常であり、普通の事だと思うし、それがハンデというのではなく“特性”と考えれば、彼は自分の“特性”に合った練習や努力を積み重ね、そこに家族や周りの人間の協力や、経済的なものとかも含めた、渾身に練習に打ち込める様な恵まれた環境があって、初めて天性の才能を開花させる事が出来、それが栄冠に繋がった。
そういう意味だけで言うならば、浅田真央や石川遼といった同世代の若い子達と、基本的には変わらない筈。

嫌らしい言い方かも知れませんが、経済的な余裕やそれを育む環境、偶然や必然に運みたいなものとかいった幾重もののものが上手く揃わなければ、幾ら才能があってもそれを開花させる事はおろか気付く事すらも出来ないかも知れない。
でもそれは、逆に言えば誰にでもそこに辿り着ける可能性はあるとも言え、そしてそれは健常者であろうが障害者であろうが、条件は同じ筈。

彼をひとつの指針や目標にするのは良い事だし、ハンデを持つ人間の希望や励みになったのなら、それもまた素敵な事だと思う。
けどその上で、やっぱり最初に“盲目の”を持ってきちゃうのは、結局そこで線を引いてしまってると言うか、相手と同じ立ち位置で考え、同じ視線で見ていない気がして、どうにも釈然としないのですよ。

そりゃ“障害者”の部分を広告塔にすれば、確かに話題としては食い付きは良くなるかも知れないし、数字や成績にも繋がるかも知れない。
でも、讃えるべきは“盲目”の部分ではなく“凄い努力をして栄冠を掴んだ”って部分な筈。
そこをしっかり見据えた伝え方をしなければ、結局視聴者や民衆に(色々な意味で)“誤った認識”を与える事にんるんじゃないのか?

やっぱ・・・捻くれてますかね?、私(^^;
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by yaskazu | 2009-06-15 00:17 | 社会 | Trackback | Comments(2)
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Commented by たんなん at 2009-06-15 11:22 x
>“盲目の”って部分が強調されてしまうのはどうにも引っ掛る
まさにおっしゃる通りですね。
審査員も「盲目なのにがんばってるから+10点」なんて審査をしたわけではないし、本来盲目かどうかは関係のない話。

今回の報道が盲目の方々へのはげみになるという一点は理解しますが
、それならば彼の努力をもっととりあげてほしいものです。
そうすれば、盲目の方々のみならず、全てのピアニストへのはげみになるのですから。
Commented by yaskazu at 2009-06-15 20:28
>たんなん様
彼が選ばれた最大の要因はただ一点。
それは彼のピアノが本当に人の心を感動させる素晴らしいものだったから。
そこにはハンデの事など、関係はない筈です。

私が一番嫌なのは、ことさら彼の障害やハンデを強調して伝える側の“思惑”とか“下心”(あ、これはさすがに言い過ぎか(^^;)が見え隠れしちゃってるところが、どうにも鼻についてしまうのですよ。
確か土曜だったかの夕方の「日本テレビ」の番組でこの話題を取り上げた際、かつて「24時間テレビ」で“最初に”紹介して云々なんて話になって、思いっきり興醒めしちゃいましたよ(^^;
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